2006年02月06日

十二人の怒れる男 #497

1957年 アメリカ 95分

1部屋の中で12人の登場人物が物語を作ると言う限られた舞台の中で名作と言える作品に違いないのだが、ついつい先に見た12人の優しい日本人#218と見比べてしまう。もちろん12人の優しい日本人(以後三谷12人、本作のほうをフォンダ12人と記。)がフォンダ12人をモチーフにした事は間違いないのだが。

フォンダ12人の魅力はその斬新な設定と緻密なストーリーだけではない。私が思うにその設定の中で謎解きミステリーの要素をしっかり果たしていることにある。事件の起こった部屋の見取り図や、ナイフの柄や刺さった角度。実際に事件の映像や関係者が全く映し出されていないにも関わらず、しっかりと事件に迫っている。反面三谷12人では謎解きの要素しかも事件に絡む要素をほとんど排除したことが魅力となっているのは三谷氏の狙いだろうか。

絶対有罪と思われていた事件、容疑者の弁護士もさじを投げ証言も固まっているにも関わらず、たった一人の疑問が覆していく。その逆転劇が爽快感をもたらしているわけだが、本当に面白いのは当初有罪としていた他の11人が自分の意見を変えていくプロセスにある。彼らはいかにして堕ちたか。じっくりと味わえるつくりだ。この映画を見れば陪審員制度の重要性も理解できるというものだ。

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12人の優しい日本人#218

posted by 映画のせかいマスター at 06:57| Comment(3) | TrackBack(4) | さ行の映画(54)+ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする