無神論者が敬虔なキリスト教徒の家で過ごす30日間。前回の中絶もそうだけど、近代になって改めて生じた問題(というか考え方の違い)だろう。私は今回もまた特に自分の意見を持ってなく、最初はあまり無神論者で「個」に入り込むのもどうかなあ、という平凡な感想程度でした。
でも今回の台風や地震などで被害に遭ったりすると、なぜ自分だけが・・という気持ちになるだろうし、心のよりどころ、落ち着けどころを神に求めてしまうんじゃないかと思う。無神論者はその分強くないといけないし、物の豊富な現代に敢えて強く生きようとするというのは、これまでの共同体的な社会に対するアンチテーゼなんじゃないかと思う。
アメリカではあまり市民権が得られていないそうなのだが、そこまでしてでも、新たな価値観を身につけたい、今までの体質から脱却したいという表れではなかろうか。時代の変化に敏感な先駆的な人びとなのかもしれない。
どっちつかずの私にはある種憧れる反面、このままずっと行けるのだろうか?「死」に直面した時、現実を受け入れられる強さをも持っているのだろうか、、などと考えた。
2007年08月04日
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